副題が「子猫とふたり旅 自転車で世界一周」
これだけで読みたくなりませんか?僕は読みたくなりました。
なんといっても自転車と猫、自分の好きなものが二つそろっているんですから。
読んでみたら、期待にたがわぬものでした。
ディーンさんの自転車旅の始まり
著者であるディーンさん(以下、敬称略)が自転車旅を始めたのは2018年の9月、30歳のときに故郷のスコットランドを後にします。
ご本人は腕に入れ墨を入れた大男で、バンダナ巻いていると、ちょっとした海賊のような風貌。
最初は友人と二人で自転車旅を始めたらしいのですが、このときはどこの国を訪れても誰も近寄ってこなかったみたいです。分かります、コワそうですもんね。
そんな彼が旅に出ようと思った理由は何だったのか?
これがハッとさせられます。
「変化のない日常から自由になりたかった。もっと意味のあることがしたいと思ったんだ」
これって若いときに(あるいは若くなくても)多くの人が抱える思いではないでしょうか?
変化のない日常。ありきたりの日常。どこを切っても同じ毎日。
もちろん、そのありきたりの毎日が尊いということは分かってはいるんです。平凡な日々が貴重なものである、ということは、いくつもの自然災害を目の当たりにしてきた自分たちとしては、その大切さは痛いほど分かっている。
でも、、、
今のままの人生じゃいや、なんですよね。
自分を変えたい。
だから毎日もがいている。
そうじゃありませんか?
たぶん、ディーンも同じように感じていたのだと思います。
だから、旅に出た。
子猫ナラとの出会いとその後の人生の変化
旅のスタートから3ヶ月後、友人と別れ、一人でモンテネグロへ向かう山中でディーンは運命的な出会いをします。
猫の鳴き声だ。
振り向くと、目の端に姿が入った。痩せっぽっちで、灰色がかった白い子猫が、道を必死に走ってぼくに追いつこうとしている。とっさにブレーキをかけて止まった。
衝撃的だった。
家はおろか、人もいないような場所でディーンは子猫と出会います。そしてここから旅は大きく変化していきます。まさに山あり谷あり。
最初に訪れた、国境の検問所を越えようとするシーンは本当にドキドキします。ナラを連れたまま(野良猫は国境を越えられない)どうやって厳しい検問所を突破するのか、ディーンと同じ気持ちになってハラハラしながら読むことができます。
このあともさまざまなアクシデントに襲われ、ディーンとナラがどうやってそれを乗り越えていくのか、ページをめくらずにはいられない展開が続いていきます。
と同時に、行く先々で二人は大きな注目を集めるようになります。
他のドライバーも同乗者たちもこっちを見て、笑顔で頷いている。(中略)自転車乗りでタトゥーを入れた髭もじゃの大男が、オウムを肩にとまらせた海賊船長よろしく子猫を肩に乗せているんだ。そりゃ注目されるだろう。
そして旅の変化とともに、ディーン自身も変わっていく。
「ぼくにはナラを守る責任がある。しっかり自覚しなくてはならない」
「この前国境を越えたとき、ぼくは書類なんて形だけのもので、ナラのかわいい顔さえあれば大丈夫だと思った。なんてバカだったのだろう。こんな厳しい取り調べを受けたとしたら、書類の不備があれば許されない。この先もナラと旅を続けたいなら、いつもきちんとしておかなければ」
ナラといっしょに旅をすることで責任感が芽生え、人としても成長していく。これは子猫との出会いによって人生が目に見える形で変貌していく人の物語でもあります。
ディーンがナラと出会えた理由
「人生の目的も方向性も決まっていなかったぼくのために、ナラは送られてきたんだ」
最初にこれを読んだとき、すごくうらやましいと思いました。そんな出会いが与えられたディーンのことをうらやむ気持ちになりました。
そして、なぜ自分にはそんなことが起こらなかったのだろう、なぜ自分の人生は代わり映えのしないもののままだったんだろうと、ナラのような存在と会えなかったことを残念に思ったりしました。
でも、この本を読んでいるうちに分かったのです。ディーンはナラと出会うべくして出会ったのだと。偶然なんかではなく、そこには理由があったんだ、と。
実はディーンは子供のころから動物をすごく大切にしてきました。
ぼくはスコットランドにいた子供のころから動物が好きで、捨てられていたり、衰弱している動物を見たら助けずにはいられなかった。
ケガをしたカモメを保護してあげたりとか、もともと動物に深い愛情をそそぐタイプだったんですね。ひと言でいえば、とてもやさしい人間だった。
そういう人だからこそ、ナラは送られてきたんだなと、本書を読み進めていくうちにはっきりと分かりました。
ヨーロッパ方面を自転車旅することについて
ちょっと本筋とはずれてしまいますが、この本を読んでいると、ヨーロッパの歴史というか、現状といったものに気付かされます。
「アルバニアは美しい国だがつい最近まで厳しい時代を過ごしてきていた。通り過ぎる村々は荒れていて、道路は穴だらけ」
「絵のような景色が続く道だ。美しい山々に挟まれた渓谷を通り抜け、崩れかけたローマ時代の遺跡を通り過ぎる。共産主義政府時代の軍のトーチカもたくさん見た。ボクダンは、国中に七、八〇万は散らばっていると言っていた。聞いたときは信じられなかったが、ほんとうにそのくらいはありそうだ」
トーチカというのは機関銃などを撃つための小型陣地のことです。これが70~80じゃないですよ、700,000~800,000です。ヤバくないですか?
このほかにも難民キャンプでの出会い等も描かれていて、これらを読むと、この地域が、近年まで実際に戦争があったことを思い知らされます。
国境の検問所の厳しさとあわせて、日本では考えられない現状の大変さをふと考えさせられます。軽々しく自転車旅したいと言ってはいけないような気がします。。。
そうでありながらも、文中では、他のチャリダーとの出会いも書かれていて、そのあたりも面白いです。
ナラの描写がいい
ナラの描写がいいです。
「ナラのほうは、この町の風景、音、においのすべてを楽しんでいた。旧ソ連時代の大きな建物や、色とりどりの果物や野菜を売る屋台を通り過ぎたときなどは、ハンドルに手をかけて身を乗り出した。好奇心いっぱいの彼女は、何も見逃したくないらしい」
うまいこと言いますよね。なんだかその場面が思い浮かぶようです。
当然ながらナラのことがたくさん書かれていて、やっぱり猫っていいなあと思ってしまいます。
あと、写真もいいですね。写真は本の中の2か所くらいにまとめてあって、ナラの表情が最高にいいです。表紙の見開きにもあり。ただ、裏表紙の見開きの写真と同じなので、せっかくだからここは別の写真がよかったかな~
ナラが与えてくれたこと
「ここ何年かずっと、ぼくは早く終わることだけを望んで仕事をしてきた。週の終わりに給料をもらうためだけに働いてきた。でもいまは毎日、楽しくて、仕事とは思えないことに取り組んでいる」
これは、捨てられている動物と、受け手になってくれる人をつなぐことで、自分にも何かができるかもしれない、と気づいたディーンの気持ちです。
ぼくの新しい「仕事」は、わかりにくくて思ったより複雑だ。コツを覚えるのは大変かもしれない。けれども自分の信じたことだし、価値あることだ。そんなことは今までの人生に、あまりなかった。いや、ぜんぜんなかったかもしれない。
ナラとの出会いをきっかけに、多くの人とつながり始め、自分の存在価値を見出していきます。
ここでちょっと、旅に出る前のディーンの気持ちに戻ります。
ぼくの旅行は何かからの逃げなんじゃないかと思う人もいるだろう。(中略)ぼくが逃げようとしているとしたら、それは過去の自分からだ。そして、自分が作り上げてしまっていた、変わり映えのしない日常から。
これを読んで思ったのです。
自分探しの旅、いいんじゃね?
最近、「自分探しの旅」を揶揄(やゆ)する風潮になっている気がします。
「自分探しの旅」を口にする人で成功者はいないとか、優秀な人はいないとか、、、
そりゃ確かにね、旅に出たからって必ず何かを得られるというわけではありません。
でも、たとえ求めているようなものが得られなかったとしても、出てもいいと思うんですよね、「自分探しの旅」に。
というか「自分探し」なんてお題目をつけずに、純粋に、行きたいと思うところに行けばいいんじゃないのかなって。
この本を読んでいたら思ったわけです。
「好きなことができる。時間はたっぷりある。期限も決めていない。その必要もない」
こんな旅ができるのは若いときだけ。だからこそ、今若いあなたは旅に出たほうがいいです。
応援します。
『ナラの世界へ』感想
これを書いている今は2021年。まだまだコロナウイルスが猛威をふるっています。早く収束してほしい。
こんな状況だから今すぐは無理だとしても、ナラとディーンはいつか必ず日本にもやってくると確信しています。ディーン自身も日本のことに触れているし。
あと、こんなことを言うのもなんですけど、日本のテレビ局も放っておかないと思う。これ、絶対視聴率とれますよね。テレビで放映してたら絶対見るわ~
もちろん、ナラの身体が一番だから、無理を押してはダメだけど、できることなら日本に来てほしいし、二人の(ディーンさんとナラの)眼で見た日本がどんなふうに見えるのか教えてほしいと思います。
1,600円で決して安い本じゃないけど、文章はぎっしり詰まってます。有名人が書く本にありがちな、やたら余白が多くて、スカスカな本とは違います。
「自転車」と「猫」が好きな人、ぜひ読んでみてください。
コメント