おとなしい自分を変えたい?そんな人生を半世紀続けたぼくの考察。

おとなしい人の処世術

 

もしもこんなおとなしい人間じゃなかったら、いったいどんな楽しい人生を送れただろうか。

 

もしもこんなおとなしい性格じゃなかったら、どんなに自信を持って毎日を過ごせただろうか。

 

おとなしいねとか、まじめだねとか、ひどいときには影が薄いねだとか、そんなことを言われずに生きていくことができたら、

 

どんなに悩みを今より少なくすることができただろう。

 

 

――生きていると、悔しいこととか、辛いこととか、悲しくなることとか、おとなしくなければ感じなかっただろうことがたくさんあります。

 

おとなしくなければ言われなかっただろうことがたくさんあります。

 

なんで自分はこんな性格に生まれてしまったんだろう。

 

おとなしい自分がぜんぜん好きになれない。もっと違う生き方がしたい、もっと違う人生を送りたい。

 

そんなふうに思っている人はちょっとだけおつきあいください。

 

 

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おとなしい自分を変えるために

 

自分のことが嫌いでした。

 

言いたいことを言えない自分。ついがまんしてしまう自分。愛想笑いばかりの自分が嫌いでした。

 

だから、そんな自分を変えるためにいろんなことをやってきました。

 

自分の気持ちとは違うことを言ってみたり、

 

合わないだろうことをやってみたり、

 

仲間にとけこむために面白くもない話で笑ったり。

 

本屋では、自分を変えてくれそうなタイトルの本に片っ端から手を伸ばしました。

 

本を読んで、これで明日から自分も変われる!と興奮し、でも1週間後、何も変わっていない自分に気づく。

 

そしてフラフラと本屋に行ってまた魅力的なタイトルの本を買い・・・のくりかえし。

 

そんなことを続けてもう何年、いや何十年になるでしょう?

 

今でもやっぱりそういう本に手が伸びるのは、自分が昔とちっとも変わっていないことの何よりの証拠です。

 

性格は変えられない?

おとなしい性格

 

性格は変えることができない。

少なくともぼくは変えることができなかった。

もうあきらめてもいいころだ。

 

おとなしい性格を変えたいと望み、嫌いな自分を変えようとずっともがいてきました。

 

人の性格をうらやみ、気がついたら自分のことをののしり、でもだからこそ、どうしたら自分を好きになれるのだろうとずっと悩んできました。

 

まわりの人はきっとこんなことで悩んだりしないだろうのに何で自分だけという思いを抱きながら生きてきました。

 

ずっと、とてもながいあいだ。

 

驚いたことにその悩みは、

 

10代のときも、

 

20代のときも、

 

30代のときも、

 

40代のときも、

 

そして50代になったいまも、

 

何ひとつ変わらなかったのです。

 

10代20代のときに感じた悩みを、50をこえた今も変わらず持ち続けています。

 

 

さて、ここで読んでくれているあなたに質問です。

 

 

 

こんな人生を送りたいですか?

 

 

性格は変えられない

 

ここまで来るとさすがに頭の弱いぼくでも気づきます。

 

 

性格を変えることなんてできない。

 

 

たぶん本当はうすうす分かってました。分かっていたけど認めたくなかったのです。

 

やればできる、がんばればできる、あきらめなければ性格だっていつかは変えられる

 

そんなことを信じていたかった。

 

そしていつまでたっても心が成長しなかったぼくはこの年になるまで同じ思いを持ち続けてしまいました。

 

でも・・・もうそろそろ潮時でしょう。

 

いいかげん目を覚ましましょう。

 

そして向き合おう。

 

 

性格は変えられない。

 

「性格を変える」からの方向転換

 

これは何も、

 

「あなたも性格なんて変えることができないからそんなことをやっても無駄ですよ」

 

ということを言いたいわけじゃありません。

 

ぼくは変えられなかったけど、あなたは変えられるかもしれない。

 

世の中には、性格を変えられたという人もいるみたいですからね。

 

だからあなたが性格を変えるためにがんばっていることを否定するつもりはありません。

 

特にまだ10代、あるいは20代の人ならやってみてもいいかもです。思い切った行動がきっかけになって変われることもあるかもしれませんから。

 

でも、もうすでにその思いを何十年も抱えているというのなら、

 

というかこれは年月の問題じゃなく、「あなたにとっての長い時間」を、自分を変えようとすることにつぎ込んでいるのなら、

 

そろそろ方向転換することを考えてもいいと思います。

 

好きなことを追いかけるべき

好きなこと やるべき

 

今から言うことはとても甘っちょろいことです。世間ではそう思われています。なので全面的に信じないで、自分なりに解釈してください。

 

おとなしい性格を変えたいと思いつつ、嫌いな自分を変えたいと思いつつ、とうとう変えることができなかったぼくは今こう思います。

 

 

自分を変えることよりも自分の好きなことを追いかけるべき。

 

 

ね?甘っちょろいでしょ?甘甘な話でしょ?よく歯を磨いてくださいね

 

50にもなったおっさんがいったい何を寝ぼけたことをと怒られそうですが、でもやっぱり言います。

 

おとなしい自分を変えようと悩むより、自分の好きなこと、やりたいことを追い求めてください。

 

 

自分を変えたい、は合わない場所にいるから

 

そもそも「おとなしい自分が嫌い」「自分を変えたい」と感じるのはどういうときでしょうか?

 

たぶん、「人と関わりあいのあったとき」ですよね?

 

誰かと会話しているときや、人と会おうとするとき、あるいは集団の中にいるとき、そんな状況の中で感じるものではないでしょうか?

 

そこで誰かに言われたひとことがあなたを傷つけた、という場合に自分についての感情が芽生えるのでは?

 

何が言いたいのかというと、

 

「自分が嫌い」という感情は対人関係によってもたらされる。

 

対人関係というのは言い換えればあなたの属している対人関係、あなたのいる環境です。

 

つまり、

 

あなたのいる環境があなたを苦しめている

 

ということです。

 

分かるでしょうか?

 

あなたが「おとなしい性格を変えたい」「自分が嫌い」と感じてしまうのは、実はあなたが「自分にとって合わない場所にいるから」なんです。

 

自分を変えたいという気持ちは、合わない場所にいるからこそ感じてしまうものなのです。

 

 

何かに打ち込んでいる人はそんなことを考えない

 

たとえば仕事を例にとって考えてみましょう。

 

あなたが学生さんの場合や、働いていない人の場合は、想像で考えてみてください。

 

よくテレビで、「仕事の流儀」とか「カンブリア宮殿」とかで自分の仕事に超超打ち込んでいる人が紹介されますよね。天職のように仕事に没頭している様子が映し出されるのを観たことがある人も多いでしょう。

 

ああいうシーンを見ると、ああいいなぁとつい思ってしまいますよね。自分もあんなふうに全力で仕事してみたいって思いますよね。

 

あの人たちは、「自分が嫌い」とか「自分を変えたい」なんてことはたぶん思っていないはず。

 

とどのつまりそれは「自分に合う場所にいるから」です。もちろん本人の才能やセンス、努力もあるでしょうけど、でもそれらを発揮できる場所にあの人たちはいるわけです。

 

だから余計なことを考えずにすむ。

 

ひるがえって今のあなたはどうでしょうか?

 

「自分が嫌い」は環境がもたらしている

 

仕事をしている人の話になってしまってそうじゃない人には申し訳ないですが、もう少し続けます。

 

「おとなしい自分を変えたい」「自分が嫌い」と感じているあなたはどんな仕事をしているでしょうか?

 

自分に合った仕事をできているのでしょうか?自分に合った環境で働けているのでしょうか?

 

たぶん、これをここまで読んでくれた人の大半がそうじゃないと思います。

 

ぼくもそうでした。

 

合わない仕事を続けたこと

 

子どものころからおとなしく、学生時代を通じても対人能力が弱いと感じていました。

 

それなのに新卒でなぜか営業の仕事についてしまい、そこからは苦労の連続でした。

 

これがそもそもの失敗でした。

 

でも就いてしまったものは仕方がありません。ぼくの2重の失敗は「苦手な仕事、自分に合わない仕事をずっと続けてしまったこと」です。

 

理由は「辞めたら仕事がなくなる」というのが大きいですが、でもそれ以外にあったのは、「頑張っちゃったこと」です。

 

職場で「合わない仕事をどれだけやれるかが大事だよな」とかいう先輩がいたり、自分でも「ここでやめたら逃げになる」と、今思えば意味不明の理由をつけて、向いてない仕事をひたすら頑張ってしまったのです。

 

でもとうぜん成績は上がりませんでした。自分は売れずにいつも苦しみ、売れる人を「いいなぁ、すごいなぁ」とうらやむ毎日。

 

とうぜん「それにくらべて自分は・・・」「どうして自分はこんなに売れないんだろう?」と自分を責めるようになります。

 

自己肯定感はどんどん下がっていき、気がついたら「自分が嫌い」「こんな自分を変えたい」そんなことを思う日々が10年20年と続いたのです。

 

あとはさっき書いたとおり。

 

働く人にとって仕事は人生の大半を占めます。その長い長い時間、ぼくは「自分が嫌い」「自分を変えたい」という気持ちを――合わない仕事を続けることで――ずっと育んでいってしまったのです。

 

この思いが実は仕事からもたらされているということに長い間気づけませんでした。

 

やっと今気づいた。

 

好きなこと、やりたいことをやる

 

向いてないと思う仕事をしている人も、仕事をしていない人も、学生さんも、ここでもう一度想像してみてください。

 

「仕事の流儀」や「カンブリア宮殿」に出てくる人のように、あなた自身も自分の大好きな仕事に熱中しているところを。自分のやりたいことをガシガシとやっているところを想像してみてください。

 

想像できたらその自分に問うてみてください。レポーターの質問に答えるでもいいです。

 

自分のことが嫌いですか?

 

おとなしい自分を変えたいですか?

 

 

「自分を変える」のではなく「居場所を変える」

 

もし「自分は変えられない」という前提に立つのであれば、

 

変えるべきは「自分」ではなく「居場所」です。

 

「居場所」というのは具体的には仕事だったり、学校だったり、それ以外の場所だったりするのでしょうが、抽象的な言い方をさせてもらえばそれは「あなたの好きなこと、やりたいこと」です。

 

自分に合わない仕事をしているかぎり、自分に合わない環境にいるかぎり、自分の苦手な人たちの中にいるかぎり、「自分が嫌い」「自分を変えたい」という思いから逃れることはできません。

 

誰かさんのようにこの先ずっとその思いを抱えて生きていくことになります。

 

でも居場所を変えれば、つまり自分の好きなことをやることができれば、それを仕事にすることができれば、今よりもっと自分のことを好きになってあげられるはず。

 

はず、というのは自分がそうすることができなかったからそんな言い方になるのですが、でもきっと間違っていないはず(また)。

 

 

なんだかとちゅうから仕事の話になってきてしまいましたが、ここではだから今の仕事をやめて転職しましょうとかそういうことを訴えたいわけではありません。

 

仕事は例として出しただけで、あなたが「自分を変えたい」「自分が嫌い」と感じてしまうのはそもそも自分以外のどこに原因があるのかをあらためて考えてほしかったからです。

 

だってもし、もしですよ?自分は変えられないのだとすれば、そのことに費やす時間はひょっとしたら無駄になってしまうかもしれないじゃないですか。

 

ぜんぶは無駄にならないにしてもある一定以上の部分は無駄になりかねません。

 

だとしたら、そのことに時間や心の大部分を費やすより、好きなこと、やりたいことに投入したほうがいいとは思えませんか?

 

だから、自分を変えるより居場所を変えましょうというのです。

 

おとなしい自分で生きていく

 

あらたえめてここで伝えたいのはこれです。

 

 

自分を変えることに執着するのをやめよう

 

 

だって、ねぇ、

 

変えようとして変えられなかったら苦しいだけだし、それで苦しむくらいならいっそそのまま受け入れた方が楽に生きられる気がします。

 

 

「おとなしいままでもいいじゃん!」

 

 

ってね。

 

そう思えるようになるためには居場所を変えた方がいいんじゃない?「あなたにとっての居場所」を追い求めたほうがいいんじゃない?というのが今回の内容です。

 

 

「自分を変えたい」と思い続けたぼくはとうとう50代になりました。さすがにもう変えられないでしょう。

 

もっと違った人生を送りたかったという気持ちはありますが、ここまできたらこの性格とずっとつきあっていくしかありません。

 

おとなしくて、気が小さくて、のんびりしたこの性格とやっていくしかありません。

 

これを読んでいるあなたはまだ若いので、そのことを強制するつもりはありません。

 

「変えたい」と思うのならそうすればいいし、心の中で「実は変えられないかも」と思っているのであればそっちに舵を切ってもいいと思います。

 

おとなしいことで悩んでいるあなたが少しでも気持ちを楽にして毎日を過ごせますように。

 

 

【追記】「あやうく一生懸命生きるところだった」感想

 

こんなことを書く気になったのはある本の影響があります。



ずっと必死で働いてきたけれど、40歳でパタッと仕事を辞めた人の話です。この本は、

 

 

もっとゆっくり生きてもいいんじゃないの?

 

 

という疑問を読む人に投げかけてくれます。

 

最初のほう、ぼくがすごく共感を感じたところはここです。

 

僕には勝った記憶がない。毎日誰かの成功談がふりそそぐこの世界で、自然に敗北感にさいなまれていた。

 

 

あ~これ自分といっしょだなと思いました。いつも誰かのことをうらやんで、いつも誰かのことを「すごいな~」って思ってるだけでした。

 

まったく同じで驚いた。

 

あともうひとつだけ紹介しておきます。

 

あまりにもつらく、耐えがたいならあきらめろ。あきらめたって問題ない。道は絶対、一つじゃないから。

 

 

「自分を変える」がつらかったらほかの道に進んでもいいってことです、勝手な理解をすれば。

 

著者は韓国の人ですが、村上春樹が好きだったり(ぼくも好きなので)、日本のことにくわしかったりして面白いです。

 

でも、この本を買ってくださいとか言うつもりはありません。中盤、中ダルミするところもありますし、買う価値があるとまでは言いません。

 

でもよかったら読んでみてくださいw

 

 

 

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